【投稿】 他人(ひと)の眼、自分の眼

 桜田丸彦さんより、ご投稿をいただきましたので紹介いたします。


  他人(ひと)の眼、自分の眼

 私の脚はマリオネットのそれのように、膝から下がぐらぐらして定まらない。だから歩く時は二本の杖を使う。一つはロフストランドクラッチという腕を支える環がついた杖で、これを左手に、右手は普通のステッキタイプを用いる。
 こういう恰好で雨が降らない限り毎日午前午後、ほぼ400米ほど、自宅の前の道を歩いている。当然のように隣近所の方々と会うことになり、黙礼であったり、簡単な挨拶、時には立ち話をすることになる。
 出来れば誰にも会いたくない。会っても黙礼ぐらいですませたい。しかし、そういうわけにいかないというのがご近所づきあいというものである。
 歩き始めた頃、殆どの人たちは脳梗塞の結果だと思っていたらしい。まぁ、ごく普通の認識だと思う。しかし、そうではない。歩けなくなったのは頸椎損傷のせいである。
 2012年の夏の終わり頃から首の痛みがますますひどくなり、10月に入ると杖なしでは歩けなくなった。そして11月にはもう一歩も歩けないという状態に陥りその月末に手術。病名は「頸椎症性脊髄症」。頸椎の椎間板の損傷による脊髄の機能不全である。
 手術の後、三ヶ月のリハビリを終えて後は自宅での自主リハビリというわけだが、三年半を過ぎても歩行不全は改善していない。
 「頑張っていますね。頭が下がります」とおっしゃるご婦人。「回復したら海の公園までお供しますよ」とおっしゃって下さる男性。以前は黙礼すらしなかった少し離れた家の奥さんからの声かけなど、他人の同情と優しさが私には煩わしい。
 以前、東京で開いていた句会を欠席せざるをえなくなり、ネットでの参加を申し出ると、仲間がわざわざ近くまで来てくれることになった。最寄りの駅までタクシーで行き、私鉄で五つめの駅まで娘が同伴して会場に出かける。特急は混んでいるから各停に乗り、帰りはタクシーである。混んだ電車に乗って座席を譲られるのを期待するように思われるのが嫌なのである。
 時々、自宅の廊下の片隅にある鏡に自分の全身を映してみる。そこには80歳の年老いた男が、腰に力を入れてやや前かがみの姿勢で両脚を少し開き気味に立っている。猫背である。人の眼に、この老人はどのように映るのだろうか。
 年月が経ったからといって日々良くなるわけではない。逆に、以前は800米ほど連続歩行が出来たのに、最近は400米少しで、歩行力が後退していると思っている。筋向いのご主人に「以前より良くなりましたね」と言われて、「その逆です」と答えると彼は申し訳なさそうに首を傾げ、以来、挨拶だけになってしまった。彼の励ましを無にしてしまい後悔したが、なぜか、調子を合わせることが出来なかった。そして、彼にとっては所詮他人事で、それが当たり前のことだと思うのである。
 自分は狷介になってはいないか。意地っ張りになってはいないか。絶えず自問自答しているが、これも他人から見ればどういうことになるのか、私にはわからない。
 時々、いとも軽やかに歩いている夢を見て「あっ、歩けるじゃないか!」と言って目が醒めることがある。この夢は生きている限り見続けるだろうと思う。

記/桜田丸彦

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ロフストランドクラッチ wiki より(編集係:注)

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コメント

私はお気の毒にという言葉が好きじゃありません。
そこに、慰め、同情とともに憐れみ、相手の優越感を感じるから。
そう話した他人(ひと)の気持ちではなくて、私の中で解釈した他人の気持ちですけれども。
気持ちを発信する側と受信する側で、意味がズレるのが厄介ですね。
2016/ 06/ 12( 日) 08: 18: 46| URL| テレビ前# 2Q1Nccu2[ 編集 ]
 
桜田さん、
お気持ち、よくわかります。よくぞ書いてくださいました。私自身、身体は日々衰えるが心は生命あるかぎり成長すると信じています。80翁
2016/ 06/ 12( 日) 00: 45: 19| URL| 新澤 修# -[ 編集 ]
 

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